トイレに行きたくて目が覚めます。
テントに戻り、
もう少し寝ようかと思ったのですが、
寝れません。
なんせ、
昨日は、
6時には寝てましたからね(笑)
と言うことで、
朝ごはん。
今日は、
朝ラー。
もちろん、
1人前ですよ(笑)
今日は、
ここから果無峠に登り、
そこから八木尾に下り、
八木尾からゴールの熊野本宮大社を目指します。
昨日に比べて、
距離も短し、
登りは最初だけなので、
楽勝ですかね。
なんちゃって(笑)
観音堂 〜 果無峠
と言うことで、果無峠を目指してスタート(06:15)
観音堂の直ぐ側にある20番観音さん。
『今日もお守り下さいませ』
落ち葉の中を登って行きます。
足には優しいのですが、
結構滑ります。
昨日歩いた三浦峠もこの果無峠も、
紅葉が有りません。
有るのは楓。
なので、
赤色は無く、
緑以外は黄色なんですね。
天気が良ければ、
釈迦ヶ岳等が望めるそうなんですが、、、
18番さんは、
なぜかやる気が無いような、、、
お願いしますよ、
ほんま。
観音堂から、
峠まで急登が続きます。
朝一から、
急登はキツいッス ><
急登を登りきると、
果無峠(06:55)
ここは、
木々に囲まれて、
展望は望めません。
有るのは、
宝篋印塔と、
17番さん。
そして、
ここは、
果無山脈縦走路の合流地点なんです。
道標の「ブナノ平」方向へ登って行くと、
果無山脈の最高峰「冷水山」があります。
今日の小辺路歩きは、
距離も短いので、
天気が良ければ、
ここにザックをデポして、
冷水山までピストンしようかと思っていたんです。
でも、
今日は天気が悪く、
今も小雨が降っています。
この後、
回復するのか、
更に悪くなるのか分かりません。
悩んだのですが、
ピストンは諦め、
下山することにしました。
果無峠 〜 八木尾
と言うことで、八木尾に向けて下山開始(07:05)
峠からは急な下りが続きます。
急阪を下りきると、
広場になっています。
花折茶屋跡(07:20)
茶屋跡を過ぎると、
またまた急な下りです。
二十丁石(07:45)
案内板が無かったら、
絶対分かりません。
どれが誕生石? & 何?
二十丁石から15分程下ると、
展望の開けた所に出ました。
本宮の町が見えてきました(08:00)
ここで、
休憩。
約7ヶ月間の小辺路歩きの旅も、
いよいよ終焉を迎えようとしています(笑)
休憩を終え、
スタートすると、
直ぐに、
三十丁石(08:10)
これも、
案内板がないと絶対分かりませんね。
見えるのは七色の集落でしょうか?
七色分岐(08:35)
二股に分岐しており、
左に下って行くと七色の集落に出るようです。
小辺路は右に行きます。
眠ってはる5番さんを過ぎると、
ベンチがあります。
この後、
4番さんを過ぎてもベンチがあったと思います。
ベンチがあると、
つい休憩したくなるのですが、
頑張って進みます。
『おっ、トイレか?』
と思ったら、
給水塔でした。
どこに給水してるんでしょうかね?
そして、
元水は何なんでしょうか?
3番さん。
後、
2つですね。
八木尾ももう直ぐ。
で、
3番さんを過ぎると、
林道出合(09:15)
ここで休憩。
ベンチは使えませんが。
休憩を終え、
スタート(9:30)
民家の左を抜けて行きます。
そして、
下りてきました、
国道168号線。
横を流れるのは、
熊野川。
そして、
登山口の前に有るのが、
八木尾バス停(09:35)
ここも、
西中同様、
『乗れるのであれば、
バスやな』
と思い、
時刻表を見ると、
9:02やん。
30分遅刻です。
西中は前もって時刻表を調べて、
それに合わせて歩いたので、
乗れたのですが、
ここはノーチェック。
前もって分かっていれば、
それに合わせて歩いたんですけどね、
残念、、、
しかし、
1番と2番の観音さんはどこ?
見逃したのでしょうか?
後で調べたら、
1、2番さんは登山道から少し離れたところにあるそうです、
残念、、、
八木尾 〜 熊野本宮大社
仕方ないので、歩きます。
散歩中の地元のお婆ちゃんやお爺ちゃんに、
『お疲れさ〜ん』
とか、
『頑張りや〜』
とか、
声をかけられます。
でも、
こう言う道って、
地味に疲れるんですよね。
で、
何も考えず歩いてると、
この「三里橋」を右に曲がってしまったんです。
本当は左に曲がるのが正解なんです。
そこから、
かなりの登りが続くんです。
えぇ〜、
本宮に行くのにこんなに登るんやろかと思いながら、
登って行きました。
そうすると、
広い駐車スペースがあり、
そこに道案内の看板があり、
それを見ると、
『あかん、
やっぱ反対や』
と言うことで、
引き返します。
そして、
道の駅(10:20)
約20分のロス。
時間のロスは良いとして、
体力の無い私にとって、
20分間歩いた体力ロスが勿体ない。
ここで、
トイレ休憩 & コーヒーブレイク
もちろん、
タバコもね。
休憩を終え、
本宮大社を目指します(10:45)
国道168号線を歩きますが、
途中から右の山道(舗装されていますが)に入ります。
この道を登って行くと、
「三軒茶屋跡」の道標が。
道標に従って、
本当の山道に入ります。
舗装道をそのまま行っても三軒茶屋跡に行けるようですが。
で、
その山道を登ると、
今まで見た「茶屋跡」は本当に「跡」でしたが、
ここは立派な建物があります。
茶屋としての営業はしてなくて、
休憩所兼トイレですが。
で、
ここで中辺路と合流です。
と言うことは、
小辺路はここで終了なんですかね?
こちらが、
中辺路。
ここを行けば、
田辺まで行くんですね。
ここも、
いつか歩いてみたい。
折角なので、
ここでも休憩します。
少し前、
道の駅で休憩したばかりですが(笑)
もう気分はゴールしてます。
休憩を終え、
本当のゴール、
熊野本宮を目指して、
関所の門をくぐります(11:15)
さすが、
メジャーな中辺路、
道も立派で、
しかも広い。
しばらく山道を進むと、
舗装道に出ます。
この舗装道を少しだけ進むと、
再び、
山道に入ります。
そして、
この山道を下ると、
再び、
舗装道に。
この舗装道を道標に従って進むと、
祓殿(はらいど)王子跡(11:50)
中辺路に数多くある王子の最後の王子ですね。
本宮大社に入る前ここで心身を祓い清め、
新たな想いで本宮大社に詣でるためのものだそうです。
現在の中辺路歩きは、
ある意味、
スタンプラリーらしく、
スタンプ台が設置されています。
ゲゲゲの鬼太郎の妖怪ポストみたいですね。
で、
ゴールです、
熊野本宮大社(11:55)
結構地味やなと思ったら、
裏門でした。
小辺路、
中辺路を歩いた人だけがくぐる鳥居です。
有名な八咫ポスト。
ポストに上には、
日本サッカー協会のシンボルでもある、
三本足の八咫烏が留まっています。
しかし、
黒いポストって、
日本でこれだけではないでしょうかね?
折角なので、
私もお参りを。
渋い御社殿。
他の熊野三山(速玉大社、那智大社)は、
赤ですが、
本宮大社は黒です。
八咫烏も黒やし、
本宮大社にとって、
「黒」は重要な色なんでしょうね。
山の中では、
携帯は圏外でしたが、
ここでは、
もちろん繋がります。
で、
調べました、
参拝方法を。
参拝順序は、
写真一番手前の証誠殿から初めて、
次の中御前、
その次の西御前、
そして、
写真には写っていませんが、
証誠殿の手前の東御前の順にお参りするそうです。
作法は、
各殿共に、二礼二拍手一礼。
お願いの内容は秘密(笑)
田辺行きのバスまでまだ少し時間があるので、
大斎原にも行ってみました。
御社殿から10分程歩くと、
大斎原(おおゆのはら)
もともとは熊野川と音無川が合流するここに祀られていたが、
明治22年の大洪水で倒壊、流失したため、
現在地に遷座したらしいです。
しかし、
全てを移したのではなく、
上四社のみを移し、
中四社、下四社、境内摂末社は石祠として、
今でも、
ここ大斎原に祀られています。
そして、
今はパワースポットとしても有名だそうです。
デカい!
日本一の鳥居だそうです。
と言うことは、
世界一ですね。
大斎原から戻り、
小辺路走破(なんちゃってですが)を祝い、
プッシュ〜。
旨い!
面倒臭さがりで、
ヘタレなおっさんですが、
一度始めたら、
最後までやり通さないと収まらない性分。
6月にリタイアしてから、
ずっと気になっていたんですよ。
ビールを飲んでると、
ドイツ人の兄ちゃんが前を通りかかります。
ほんまよく合う奴です。
私 『ビール飲む?』
兄ちゃん『ビールは飲まない』
私 『ドイツ人ちゃうやろ』
兄ちゃん『ドイツ人!』
ビールを飲まないドイツ人っているんですね。
私 『今からどこ行くの?』
兄ちゃん『湯の峰温泉、
これから温泉タイム』
私 『歩いて?』
兄ちゃん『バスで』
と言うことで、
ドイツ人の兄ちゃんとやって来たのは、
熊野本宮館前のバス停。
さすが世界遺産のバス停、
立派です。
バスの本数は少ないですが(笑)
バスのお客さんは、
私を除いて、
全員外人さん。
ちなみに、
ドイツ人の兄ちゃんは私の横に座っています。
私 『日本の温泉、入ったことある?』
お兄ちゃん『ある』
私 『裸で入れる?』
お兄ちゃん『ノープロブレム』
日本式温泉もメジャーになったもんです。
彼ら全員、
湯の峰温泉で下車。
楽しんでもらいたいですね、
日本の温泉。
そして、
日本を。
今回歩いた小辺路ですが、
昨日、安中から昴の郷まで乗ったバスの運転手さんに、
面白い話を聞きました。
明治22年、
奈良県吉野郡一帯をとてつもない豪雨が襲い、
村が壊滅するほどの大水害となったそうです。
熊野本宮大社が倒壊、流出した時ですね。
そこで、
新たな生活の地を求めて多くの人が北海道への移住を決断、
現在の新十津川町を創り上げた話は有名ですよね。
この時、
故郷を余儀なく離れる苦汁に後ろ髪を引かれながら、
神戸へと向かい海路北海道を目指したのですが、
その時歩いた道が、
この小辺路だったそうです。
私は、
神戸からやって来て、
それまでお気軽に歩いてたのですが、
その話を聞いてから、、、
神戸に向かうために、
大きな荷物を持ち、
幼い子供の手を引き、
赤ん坊を背負った、
何千と言う人達が私の周りを歩いてるような、、、
そんな、
小辺路歩きでした。
熊野古道・子辺路を歩いてみよう、アゲイン
前回リタイアした三浦口まで移動
一日目 三浦口 〜 果無峠・観音堂
二日目 果無峠・観音堂 〜 熊野本宮大社
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